[編集] 来歴?人物 慶應義塾高等学校中退後、俳優座演劇研究所に入学1956年、映画『裁かれる十代』でデビュー。同年、初の主演作『処刑の部屋』で注目を集める。以降、大映現代劇の若手2枚目トップスターとして多くの映画に主演し?京マチ子、若尾文子?山本富士子、岸惠子らと共演。映画代表作に増村保造監督の『巨人と玩具』『妻は告白する』、小津安二郎監督の『浮草』、市川崑監督の『おとうと』などがある。 1962年に大映を退社以降は、テレビに活躍の場を移し、テレビドラマ『キイハンター』に出演。1969年、株式会社川口プロモーションを設立。フジテレビ競馬中継の司会?解説を努めるかたわら、1970年、川口浩探検隊の前身の『ザ?ショック!!』(日本テレビ系)を企画?出演。 1977年にスタートした『水曜スペシャル』(テレビ朝日系)「川口浩探検隊」シリーズ(全43回)が人気を博した。同シリーズは人気シリーズであったにもかかわらず、長らく再放送(時々夏休みと冬休みの時期、そして1992年3月に一部の番組が一度された)もビデオ化もされなかったが、2005年1月26日にユニバーサルから人気シリーズ6本が初めてDVD化された。この探検隊で1983年6月に放送された番組内にてピラニアに指を噛まれて大怪我をしたのは有名な話である。このピラニア事件は正真正銘の不慮の事故であったが、番組内の毒蛇や毒蜘蛛に襲われたり底なし沼にはまるなどのアクシデントシーンは殆どがヤラセであった。そのことを皮肉った曲「ゆけ!ゆけ!川口浩」を嘉門達夫が歌い、ヒットさせている。 家族は、野添ひとみと2人の娘の4人家族だったが、悲運の生涯であった。1982年に母?三益愛子が死去。翌1983年に次女が死去。1985年に父?松太郎が亡くなるのと同時に本人も胃ガンと診断され、手術後に闘病生活に入るが、1987年11月17日に食道癌の為、死去。享年52(満51歳没)。妻の野添も1995年に死去した。 [編集] 競馬 川口浩は野添ひとみ夫人と一緒に、1970年代前半にはフジテレビで競馬中継の司会?解説を務めたほどの競馬ファンとして知られたが、自身もマルガリータ、マスカラーデなど中央競馬でも競走馬を所有し、活躍馬を出していたことでも知られた。 另 http://www.douban.com/note/171595090/