1950年10月12日、石川県金沢市に生まれる父は洋服の仕立て屋、母は北陸一のゴム風船屋の裕福な家庭で育つ。9歳から中学校2年まで少年合唱団に所属。小学3年生から4年生の間は父の都合で金沢から東京の麻布十番に転居していたが、その後は再び金沢に戻る。そして石川県立金沢二水高等学校に入学。高校在学中は合唱部でテノール、指揮者として活躍をしていた。クラシックの声楽家を志して東京音楽大学などの浪人中に友人に勧められて一緒にオーディションを受けたのがきっかけで1972年に劇団四季へ入団。「鹿賀丈史」という芸名は同劇団代表の浅利慶太が名づけた。金沢出身ということで加賀に因み、「鹿のように俊敏になり、そして澄んだ目をしているように」という意味で「“鹿”賀」となった。 劇団四季では児童向けミュージカルなどに出演した後に『ジーザス?クライスト=スーパースター』のジーザス役で主演デビューし、注目を集める。同劇団の顔である日下武史のシャイロックで話題を集めた『ヴェニスの商人』のバッサーニオなど軽妙な役柄もこなした。1980年に劇団を退団して個性派俳優の道へ歩を進めた。 退団後は舞台だけでなく、映画?テレビドラマなど多方面で活躍した。映画では角川春樹から着目され、松田優作主演の『野獣死すべし』の重要な助演を経て、篠田正浩監督の『悪霊島』では金田一耕助役に抜擢された。そのほか野村芳太郎監督の『疑惑』、和田誠監督の『麻雀放浪記』、角川監督の『キャバレー』などの助演(以上3作の演技でそれぞれ日本アカデミー賞助演男優賞を受賞)、滝田洋二郎監督の『木村家の人びと』、井筒和幸監督の『さすらいのトラブルバスター』などの主演で注目を浴びた。 テレビドラマでは、1978年のNHK大河ドラマ『黄金の日日』が初出演作となった。それ以後は大河ドラマの『翔ぶが如く』で主役の大久保利通を演じ、他にも『Gメン'75』『天皇の料理番』『警部補 古畑任三郎』『静かなるドン』など各年代を代表する作品に数多く登場している。1995年の『世にも奇妙な物語』の一編「マエストロ」では、傲慢で自信家ながら、原因不明の耳の障害で初めて苦悩を味わいながらも復活を果たす天才指揮者を演じた。 四季退団後の舞台では、1987年の日本初演から『レ?ミゼラブル』でジャン?バルジャン役とジャベール役を滝田栄とのダブルキャストでこなし、舞台役者としての地位を確立していった。 1990年1月21日、『レ?ミゼラブル』終演後、マロリー?ワイス症候群のため楽屋で吐血し緊急入院したが、治療を受けて同29日に退院した。 1993年、テレビ番組『料理の鉄人』で美食アカデミー主宰として出演し、バラエティの才能も見せた。番組内で言う「私の記憶が確かならば」の言い回しが有名となり、鹿賀の認知度を老若男女問わず広めたが、強烈な印象を残すキャラクターだっただけに、プライベートでも役柄そのものの人物と誤解される事に本人は少々悩まされていたと、後に『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』出演時(1997年放送)に語っている。バラエティでは『料理の鉄人』のほかに、子供番組『ポンキッキーズ』で謎の部屋を守る番人「カガマル」や先生に扮した「ドクター?カガドル」として出演し、楽曲「Ja-nay」を歌唱している。番組では同曲に合わせて体操をする全国キャラバンも行われ、主な『料理の鉄人』出演者(鹿賀、岸朝子、服部幸應、景山民夫、坂井宏行)がこの曲を踊っているシーンが放送されている。 1996年、映画『ウルトラマンゼアス』に悪の宇宙人?悪神亜久馬 / ベンゼン星人役で出演し、世間の注目や話題を集めた。後に、バラエティ番組でのトークで「子供は特に好きという訳ではないが、子供の反応に興味があったから出た」と語っている。後に鹿賀は、2007年に『西遊記』でも悪役の妖怪?金角を演じた。尊貴な役柄では当代随一であり、大名や将軍はもちろん第一生命CMでの国籍不明な王様から怪物大王や明治天皇まで、さながら王様役者の感がある。『料理の鉄人』も、この延長線上といえる。 1998年、『レ?ミゼラブル』の初演以来舞台の中核として活躍してきた功績に対して菊田一夫演劇賞特別賞を受賞。さらに2005年、『ジキル&ハイド』『レ?ミゼラブル』の演技に対し菊田一夫演劇賞演劇大賞を受賞。 2002年、23年ぶりに劇団四季の同期で盟友でもある市村正親と共演する予定だった舞台「You Are The Top 今宵の君」を、急性虫垂炎で初日三日前に降板した。その後市村とは2005年の舞台『デモクラシー』などで共演を果たしている。